週末、東村山市にある多磨全生園の梅林を見に行きました。
梅の花は、ちょうど見頃を迎えていました。
長年、ハンセン病に対する国の絶対隔離政策の場であった多磨全生園は、「人権の森」として生まれ変わり、後世に残されていくそうです。
園内にある『いのちとこころの人権の森宣言』の碑には、次のように刻まれています。
「この地を第二の故郷とした人々は、萎えた手足に力を込め、病をおして拓いた土地に、一人一人が想いを込め、一本一本植樹し緑を育てた。いま、その緑の地は、そこに暮らす人々と東村山市民との百年の交流をとおし、いのちとこころの人権の学びの場となった。」
数年前、私は初めて多磨全生園を訪れました。あるテレビニュースがきっかけでした。ニュースでは、敷地の隣にある保育園の子どもたちと、ハンセン病回復者の方々との交流の様子が伝えられていました。数分間の放送でしたが、何か心に残るものがありました。
敷地の一角に造られたハンセン病資料館を最初に訪れたとき、これほどの人権侵害が長年にわたって続けられ、見過ごされてきたという事実に、大きな衝撃を受けました。
ある日、突然、発病し、この場所に連れて来られた人たち。ここは、「療養所」という名の「収容所」でした。館内には、そうした環境下にあっても懸命に生きてきた入所者の方々が遺した生活用具や作業道具、文学作品や絵画・陶芸・手芸作品などの数々も展示されていました。
戦後に有効な薬が開発され、治る病となってからも、患者の隔離政策は継続されたままでした。「らい予防法」が廃止され、隔離政策に終止符が打たれたのは、ようやく戦後50年がたってからのことでした。そして、偏見や差別は、その後も根深く残り続けます。
偏見や差別のもとになっているのは、「無知」です。私自身、それまでハンセン病のことはよく知りませんでした。
国の誤った隔離政策と、それを傍観し続けてきた国民。「無知」が罪をつくるということを、このハンセン病資料館の中で実感しました。知らないということに開き直ってはいけない。ハンセン病に対しても、その他の事々に対しても。そう思いました。
ぜひ一度、訪れてみてください。 (ゆ)
⇒ ブログ一覧へ